東洋ピアノ製造株式会社(静岡県浜松市)
1948(昭和23)年6月設立。1970年代には、音と品質が評価され、「東京藝術大学」、「武蔵野音楽大学」の指定業者に選ばれた。 その後、アップライトピアノでありながらグランドピアノに近い表現力とタッチを実現する「SSS(スリーエス)」機構の開発に成功した。 日本のピアノメーカーの中で、現在も新品のピアノを開発・製造している数少ないメーカー(ブランド)のひとつ。
アトラスピアノ製造株式会社(静岡県浜松市)
1955(昭和30)年6月創業、1960(昭和35)年5月設立。 「国立音楽大学」と業務提携し、同大学の指定ピアノとなったことで発展を遂げた。1961(昭和36)年、日本で初めてピアノJIS工場の認可を受け、翌年には広島支店を開設、その後「日本ピアノ製作所」を買収、「日本ピアノアクション製造株式会社」を吸収合併するなど、1960年代から1970年代にかけては、日本のピアノメーカーとして、生産設備、生産台数において「ヤマハ」、「カワイ」に次ぐ勢いであった。1986(昭和61)年、国内での生産を終了。
株式会社カワイ楽器製作所(静岡県浜松市)
1992(平成4)年に誕生した、「スタインウェイ&サンズ」のセカンドライン。「スタインウェイ&サンズ」が、160年以上におよぶ最高級ピアノの製作と継続的な改良により培ったノウハウを生かして設計を担当し、「河合楽器製作所(カワイ)」の国内工場で生産している。 「スタインウェイ&サンズ」のDNAを受け継ぐことで、同価格帯のピアノには決して真似のできない優れた響きと演奏、耐久性を実現している。
株式会社ディアパソン/河合楽器製作所(静岡県浜松市)
1948(昭和23)年設立。採算や手間を度外視して理想のピアノ造りを追い求めて、日本のピアノを世界水準に高めた「大橋幡岩」氏が、41歳の時に設計をしており、現在も、その思想と技術を受け継いでいる。 2017(平成29)年に、「河合楽器製作所(カワイ)」に吸収合併され、現在に至る。
エンペラー/株式会社カワイ楽器製作所(静岡県浜松市)
「河合楽器製作所(カワイ)」が、特約店の為に製造していたブランド。
天竜楽器製造株式会社→日本楽器製造株式会社(静岡県浜松市)
1941(昭和16)年に設立し1953(昭和28)年、「日本楽器製造(ヤマハ)」の傘下で、オルガン・諸楽器の木製部品の下請け加工、木琴の生産などを行っていた「天竜楽器製造」により製造をスタートした。 「天竜楽器」は、1956(昭和31)年に、「河合楽器」(東京)向けに「KAISER/カイザーピアノ」の製造を開始し、1961(昭和36)年からは、三木楽器(大阪)向けに「MIKI/ミキピアノ」の製造を開始したが、1969(昭和44)年に、「日本楽器製造(ヤマハ)」と合併したことで解散し、以降「日本楽器製造(ヤマハ)」が製造していた。
大橋ピアノ研究所→株式会社大橋ピアノ(静岡県浜松市)
1958(昭和33)年5月創業。1959(昭和34)年6月設立。 「日本楽器製造(ヤマハ)」で13歳からピアノづくりに大きく貢献し、後の「河合楽器製作所(カワイ)」の創業者、「河合小市」氏等のもとで才能を開花させ、昭和のピアノ名工として小市氏と並び称されるピアノ技術者だった「大橋幡岩」氏が設立したメーカー。 労働争議を経て低コスト・大量生産へ大きく方針転換する「日本楽器製造(ヤマハ)」に反発した幡岩氏は、理想のピアノ作りを求めて独立し、1948(昭和23)年には「浜松楽器工業」に招聘され「ディアパソンピアノ」の設計・製造を開始。1958(昭和33)年に同社が「河合楽器製作所(カワイ)」に吸収合併されたのを機に「大橋ピアノ研究所」を創設し、後に“幻の名器”と称されるようになる「オオハシピアノ」の製作に着手した。 当時の「日本楽器製造(ヤマハ)」が、「ベヒシュタイン(ドイツ)」のピアノに習っていた事もあり、幡岩氏が目指したピアノは「ベヒシュタイン」のピアノだった。 “和製ベヒシュタイン”と称された「オオハシピアノ」は、豊潤で透明度の高い音色と、演奏者の表現に素直に応えるタッチが特徴。 1980(昭和55)年に幡岩氏が84歳で逝去した後、2代目の巌(いわお)氏が引き継ぐも1995(平成7)年に急逝。既に注文を受けていたピアノを製造した後、惜しまれつつも自主廃業した。 「オオハシピアノ」は、「大橋ピアノ研究所」の創業から廃業までの37年間で4639台のみが生産されましたが、今や現役のモデルが希少となり“幻の名器”と称され、愛好家に支持されている。
株式会社カワイ楽器製作所→天竜楽器製造株式会社→日本楽器製造株式会社(静岡県浜松市)
「日本楽器製造(ヤマハ)」傘下で「エテルナ」などを製造していた「天竜楽器製造」が、1956(昭和31)年4月より、「河合楽器」※(東京)向けに製造を開始。1969(昭和44)年に、「天竜楽器」が「日本楽器製造(ヤマハ)」と合併して以降は、「日本楽器製造(ヤマハ)」が製造をするようになった。 ※「河合楽器」(東京)と「株式会社カワイ楽器製作所(KAWAI)」とは別会社です。
株式会社カワイ楽器製作所(静岡県浜松市)
1927(昭和2)年8月創業。創業者の「河合小市」氏は、1896(明治29)年、11歳の時に「山葉楽器製造所」(翌年、「日本楽器製造」となる)の「山葉寅楠」のもとに弟子入りし、1906(明治39)年、21歳の若さでピアノアクション部長となり、1926(大正15)年には、製造部門の最高責任者である技師長兼工務部長に任命された。 1927(昭和2)年、元「日本楽器製造(ヤマハ)」の仲間7人と共に独立して、「河合楽器研究所」を開設し、「三木楽器」(大阪)向けに「エス ミキ」ブランドのピアノを製造・供給した。 1954(昭和29)年になると、各地に支店、出張所を開設していき、1960(昭和35)年からは、全国の主要都市に直営店を開設して直営性に移行した。 現在は、最高の素材、技術、感性のすべてを注いで製造している、最高級グランドピアノシリーズ「SHIGERU KAWAI」などを展開しており、世界中から高い評価を得ている。
株式会社クロイツェルピアノ(静岡県浜松市)
1957(昭和32)年3月創業。当時の「ヤマハ」ピアノの最高額商品が26万円であったのに対して、「クロイツェル」のピアノは47万円と高額で、彫刻による外装部品を取り入れた非常に豪華な仕上げのモデルを数多く製造した。
天竜楽器製造株式会社→日本楽器製造株式会社(静岡県浜松市)
1961(昭和36)年から、「日本楽器製造(ヤマハ)」の傘下に収まる「天竜楽器製造」が、「三木楽器」(大阪)向けに製造したピアノ。 1969(昭和44)年11月に、「日本楽器製造(ヤマハ)」との合併が成立して以降は、「日本楽器製造(ヤマハ)」が製造を行っていた。
東洋航空精機株式会社→メルヘン楽器株式会社(静岡県周智郡)
1943(昭和18)年6月に、「東洋航空精機株式会社」として設立。1963(昭和38)年、「河合楽器製造(カワイ)」の傘下となり、楽器部品の製造を開始した。 1978(昭和53)年の「メルヘン楽器」へ改称。その後、「河合楽器製造(カワイ)」の電子ピアノや部品の保管業務を行うことになり、2017(平成29)年6月、「河合楽器製造(カワイ)」に吸収合併された。
アトラスピアノ製造株式会社/フローラピアノ製造株式会社(静岡県浜松市)
「アトラスピアノ製造」「フローラピアノ製造」が、音響メーカーの「日本ビクター」向けに製造したピアノ。レンナー社(ドイツ)製のアクションを使用したモデルなど、高品質なピアノを提供していた。
ヤマハ株式会社 (静岡県浜松市)
1887(明治20)年に「山葉寅楠」氏が、浜松市内の小学校の壊れたオルガンの修理に成功したところからオルガン製作を決意し、1889(明治22)年浜松に合資会社「山葉風琴製造所」を設立して、1897(明治30)年には、「日本楽器製造株式会社」を設立した。 1960年代は、グランドピアノから管楽器、打楽器、弦楽器まで幅広く製造する総合楽器メーカーとしての基礎を固め、1968(昭和43)年にピアノ・弦楽器製造の「天竜楽器」を、1970(昭和45)年に管楽器製造の「日本管楽器」を吸収合併した。 その後、創業90周年を迎えた1987(昭和62)年に、山葉寅楠のオルガン修理から100周年を記念し、社名を「日本楽器製造株式会社」から、商標で知名度が高い「ヤマハ株式会社」へ変更した。 2008(平成20)年には、オーストリアの老舗ピアノメーカーである「ベーゼンドルファー」を傘下に収め、2009年(平成21)年には、イギリスのピアノメーカーである「ケンブル」を完全子会社化し、ピアノ生産をアジアに移転した。
1969年にピアノ生産台数で世界一となって以降、販売額ベースで現在でも世界首位であり、その品質の高さから、幅広い演奏者から圧倒的な支持を得ている。 また、この他の楽器についても、ハーモニカやリコーダー、ピアニカといった学校教材用からエレクトリックギターやドラム、ヴァイオリン、チェロ、トランペット、サクソフォーンなど100種類以上もの楽器を生産する、世界最大の総合楽器メーカーである。APOLLO:アポロ
ATLAS:アトラス
BOSTON:ボストン
DIAPASON:ディアパソン
EMPEROR:エンペラー
ETERNA:エテルナ
OHHASHI:オオハシ
KAISER:カイザー
KAWAI:カワイ
KREUTZER:クロイツェル
MIKI:ミキ
MARCHEN:メルヘン
VICTOR:ビクター
YAHAMA:ヤマハ
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